夏の東洋大姫路が復活!40年ぶりの春夏連続甲子園出場で頂点へ
東洋大姫路が40年ぶりに春夏連続で甲子園出場を果たし、昭和の野球スタイルで頂点を目指す。岡田監督の手腕が光る。
東洋大姫路の復活
2025年7月28日、兵庫大会の決勝戦で東洋大姫路は報徳学園を7-6で下し、2011年以来14年ぶり13度目の夏の甲子園出場を決めました。この勝利は、2019年に履正社を率いて夏の甲子園優勝を果たしたOBの岡田龍生監督(64)が、就任3年目で早くも1985年以来40年ぶりとなる春夏連続甲子園出場を達成したことにより、さらに意義深いものとなりました。
岡田監督の手腕
岡田監督は三塁側スタンドに満面の笑みで両手を掲げ、母校再建を託された重圧を押しのけてつかんだ頂点を喜びました。「これが一番うれしいですね。覚悟をして監督を引き受けたので結果が出てよかった」と語りました。
強打の岡田野球
東洋大姫路は12安打7得点と強打を見せつけました。打線をけん引したのは、父が元阪神で代打の神様・桧山進次郎氏のファンだったことが名前の由来の4番・白鳥翔哉真外野手(3年)。「なんとしてでも決めようと思った」と、同点の六回2死二塁で決勝の左前適時打を放つなど得点圏で2安打をマークしました。
泥くさい攻撃
チームは計4犠打と、2桁安打を放ちながらも着実に点を奪いにいく泥くさい攻撃で、勝利への執念をにじませました。大会前、OBの指揮官は「昭和の野球がしたい。昔の東洋の野球で頑張りたい」と選手に訴えました。
昭和の野球
1977年に初めて夏の全国優勝を果たした際、1年生だった岡田監督の目には今でも当時の光景が焼き付いています。白球に食らいつき、泥まみれになって守り勝つ野球。「あのチームは強すぎて。夏の優勝ってこんなんなんやと」。優勝パレードが行われた姫路城周辺は人海となり、先輩たちは地元のヒーローとして脚光を浴びました。
今後の展望
秋春近畿大会も優勝し、県内無敗の20連勝を達成。同一年度の秋春夏の兵庫県制覇は18年・明石商以来史上4校目の快挙となりました。今春センバツは2回戦で敗れましたが、「もう一回甲子園で頑張りたい」と指揮官は語り、再び姫路に深紅の大優勝旗を持ち帰ることを誓いました。
夏の東洋の歴史
1969年夏に甲子園初出場を果たし、72~74年はセンバツには出場できなかったが、夏は3年連続甲子園に出場しました。1977年夏は初の全国制覇も達成。70年代は夏の兵庫の主役でした。また夏の甲子園でも12回の出場中、初戦敗退はわずか3度。31試合を戦って20勝11敗、勝率・645を誇ります。

